top of page

脇差 盛光

脇差 二代兼元(孫六)

脇差 兼房、兼元

短刀

刀剣

鎧兜

鉄錆地三十二間筋兜・

紺糸威本小札鎧【江戸前期】

筋兜について

筋兜(すじかぶと)は、日本の鎌倉時代後期から南北朝時代頃に発生した兜の一形式。星兜と異なり、兜本体(鉢)を形成する鉄板を接ぎ留める鋲(星)を見せず、鉄板の縁を捩り立て接ぎ目を筋状に見せたもの。

星兜に比べて軽快・軽量かつ、製作が簡易であるため、徒歩武士の胴丸・腹巻に付く兜として用いられた。後には大鎧にも用いられるようになった。

 

鋲頭が大きい鋲を使う星兜と違い、頭が平らな鋲を使って鉢の鉄板をつなぎ合わせている。またしころも、両手の動きを邪魔しないように、「笠しころ」と呼ばれる横に広がった扁平型の形式が使われた。鉢には黒漆が塗られる。時代が下るにつれ、より高度な製作技巧を必要とする、筋の数の多い筋兜も増えていった。当初は二十数枚であったが、やがて六十数枚が一般的になる。これらは細長い鉄板を非常に多く用いるため、枚数が少ないものよりも板の重なる面積が増えて、実質的には2枚の鉄板を重ねた事と同じになり堅牢さが増した。少ないものでは十数枚、多いものでは二百枚近いものまでがある。

bottom of page